エスノグラフィ(行動観察)とは


エスノグラフィーは、

ギリシア語のethnos(民族)、graphein
(記述)から来た英語で、民族学、文化人類
学などで使われている中心的な研究手法で、

フィールドワークによって行動観察をし、その
記録を残すことをさす。ある民族の特徴を調査
するためにその民族の生活に入り込み、長期間
にわたって彼らの生活スタイルを観察し、

対話し、文化や行動様式の詳細を記録を
していくアプローチ
‥‥だと言われている。



私が『エスノグラフィー』に着目した理由は?

『ベネッセ』のある多摩センターで、明らかに
『人格障害』や、『自失にいる言語離脱』や
『コミュニティー造反』のある人々による

ある種の『サイコパス』化が、目立つからだ!


『グループ』『宗教』『同じ隠語を話す人々』
により、互いに互いをコントロールすること、

個性や創造性、倫理観や分別の介入をさせない
雰囲気、LINEアプリだけにコントロールされて
生きて、何か1つのこだわりか知能誘導により

存在させている、営みやリズムやイズムには
自主的に介入しない、流行りのある虚偽には
傾倒、居着くイメージがある。


『考えない』『知らない』『学ばない』、
『認知しない』『気付かない』『記憶しない』、
『見えない』『分からない』『誰かのふり』で
あることにより、『なんとなく同じ』所にいる。

そんな人々が、マインドコントロールされて
自我も分別も希望も目標も無い、ただ居ると
繋がり、阻害感は持たないし、その世界は楽
なのだろうと。


それを、危惧した。『コロナ』さながらな病。
小林慶一郎いわく、『ウエルス』だったのか?

『ウイルス』ではないのか。スル医療家か?
エホバの家はスリなのか(笑)。

それは別にしても、『コロナ』とは人間に
『馬鹿につける薬は高い?』とアピールを
させている1年だ。






社会情動的スキル――学びに向かう力
経済協力開発機構(OECD)
明石書店
2018-05-12





〈説明〉

🗒️内容紹介

今日の子どもたちが現代の社会において成功した人生を歩むためには、バランスのとれた認知的スキルと社会情動的スキルが鍵となる。学力テストや成績で測定されるものを含めた認知的スキルは、個人が教育や労働市場で成功し、成果を収める結果に影響する可能性が高いことがわかっている。また、健康、社会的・政治的参加、そして信頼といったより広義の意味での子どもの将来も予測する。次に、忍耐力や社交性、自尊心といった社会情動的スキルは、健康面での成果、生活満足度や主観的ウェルビーイングの向上、問題行動を起こす可能性の減少など、多くの社会進歩の成果に影響を及ぼすことがわかっている。

社会情動的スキルと認知的スキルは、幼児期からその後の人生において、相互に作用し、高め合い、学校内外を問わず子どもに成功をもたらす。本書は、OECDの研究成果に基づき、人生の成功に結びつく社会情動的スキル(あるいは非認知的スキル)を特定し、そうしたスキルを育成するための方策を整理したものである。



📓第1章
今日の世界における教育とスキルの役割

本報告書の目的/
今日の社会経済的概観/
今日の課題に対処するための教育とスキルの役割/
結論


📓第2章
学習環境、スキル、社会進歩:概念上の
フレームワーク

はじめに/
社会進歩/
スキル/
学習環境/
結論


📓第3章
人生の成功を助けるスキル

はじめに/
スキルがもたらす、より広範な恩恵/
結論


📓第4章
スキル形成を促進する学習環境

社会情動的な発達の過程/
社会情動的発達を促進する学習環境/
結論


📓第5章
社会情動的スキルを強化する政策、実践、評価

はじめに/
各国の教育目標/
ナショナル・カリキュラム/
学校の課外活動/
評価/
地方や学校レベルでの取り組み/
結論


🔖付録5A 社会情動的スキルの育成に向けた
取り組み:教育制度の目標とスキルフレーム
ワーク(国・地域別)


📓第6章
社会情動的スキルを育む方法

政策メッセージ/
本報告書の主な結果/
「何が効果的か」と「実際に何が起こっているのか」
のギャップ/
今後に向けて/
結論



🖋️著者について

ベネッセ教育総合研究所

Benesse Educational Research
and Development Institute

1985年に福武教育研究所として設立以来、
㈱ベネッセコーポレーションのシンクタンク
として、国内外の研究機関や研究者とともに
数多くの調査・研究を行う。乳幼児から大学生
・社会人、保護者、教師などを対象とした社会
調査、長期縦断調査、アセスメント研究開発
などに取り組む。

ホームページ:https://berd.benesse.jp/



✩無藤 隆(むとう・たかし) 
MUTO Takashi
白梅学園大学大学院特任教授/白梅学園大学名誉教授

✩秋田 喜代美(あきた・きよみ) 
AKITA Kiyomi
東京大学大学院教育学研究科教授

✩荒牧 美佐子(あらまき・みさこ) 
ARAMAKI Misako
目白大学人間学部准教授

✩都村 聞人(つむら・もんど) 
TSUMURA Mondo
神戸学院大学現代社会学部准教授

✩木村 治生(きむら・はるお) 
KIMURA Haruo
ベネッセ教育総合研究所 主席研究員

✩高岡 純子(たかおか・じゅんこ) 
TAKAOKA Junko
ベネッセ教育総合研究所 主席研究員

✩真田 美恵子(さなだ・みえこ) 
SANADA Mieko
ベネッセ教育総合研究所 主任研究員

✩持田 聖子(もちだ・せいこ) 
MOCHIDA Seiko
ベネッセ教育総合研究所 主任研究員




2021.1.15 記__



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『たぬき』を、人間とは
どう捉えるか?


多摩センターで、2015年だったか?

集団で高校生か、若い男女がジャージの
上下を着て、顔に、目の周りに目張りを
入れ、真っ黒にアイラインを引いて行進_。

集団になり多摩センターのパルテノン
近くを、ヨーカドーの周りを行進して
歩いていた。異常なその姿を、人々とは

気にもしない、笑いもしない、見もしない!


狂っていた。狂わされた子供たちは、恥を
羞恥心を感じない。ただ仲間と馬鹿騒ぎを
やる、群衆に気付かない、気付けない彼らは

『たぬきのふり』をした。化かされて、
化かしている、狂わされた役で遊んでいた!


10人以上居たのか、と思うがアイラインを
瞼に塗りたくり、それは男女ともに同じさま。


彼らは、『洗脳されてやる』だけの生き物か?

『モラル』『分別』を使わない、『猿軍団』
さながらに、支配されたら分からないことを
やりだす、道化という立場なんだろう。


自意識や、自己とは『無いから気にしない』
という。そんな『人間離脱な世界』にいる?


『パフォーマンス』ではなく、『肝試し』も
違う。『人間をやれない』アピールに存在し
集団で『キチガイな自分たち』をアピール
して生きる。

『人間』を出来ない知能の集団、それが
多摩センターに出歩く『戸籍のない役』や
偽名になり『嘘をつく仮名表札の玄関』に
出入りする組織たるアピールなんだと。


自分を分からない子供たちの姿。
盗賊や、警察のふり、メディアに出ては

通行人や商店で働く人々や田舎の村人に
なる、エキストラごっこに生きる非現実な
世界にいる『誰か分からない人々』の姿!


『1年前と今では名前が違う』とか、また
『5年前には犯罪者だった』とか、中には
『強盗をして逃亡して、地方の警官』になり

下手すれば、タレントなふりして芸名があり、
ロケーションに参加し、街歩き番組の中で
商店街にいた役が、何年かしたら刑務所の
『受刑者役』になり、テレビに映るとか?


間違えば、医学者に扮して議員に会ってた奴が
売春婦になり、有名人と援交していたとか?

中には『火曜サプライズ』に出て、遊園地や
ユニバーサルスタジオジャパンの園内で働く
アトラクションのスタッフ役をし、テレビに
出ていた奴が

多摩ニュータウンでは、犯罪者になっている、
受刑者だという摩訶不思議さ。そんな人間社会。


『エスノグラフィー』は、多摩市のキチガイを
私に教えた、そんな世界でもある。何様や貴様や
悪女や悪魔な、仮名暮らしや仮面住人や架空住人。

『住民登録をしないで犯罪しかしてない認知症』
たち。そんな卑しき無分別が『精神障害』たる
アピールを、無資格医としている街だ!


『コロナ』は、それを誤魔化した数値だね。


『非認知』なるスキルは、

『精神障害』にはならない、『仕事や学校にいる』
だけではなく、『医療現場』で、『商業施設』で
患者や消費者になれてるか否か、であるようなこと。


例えば、買い物をする、洋服を買う、食事に行く、
電車に乗る、バスに乗る、ということを出来ない
人間が『エキストラ』ならなり、働く役ならやる
という摩訶不思議さは、『精神疾患』の放置。


『非認知』的に、モノや世俗の中にいる、という
ことは、『考える』『識る』『見る』『感じる』
『体感する』『切磋琢磨する』『傷つく』とか、

『傷める(痛める)』とか、『損をする』
『律する』『諦める』『制約を受ける』とか、

『旅をする』『歩いてみる』『待ちぼうけ』を
体験する。その中で『時間』と『体力』と『自尊』
という次元に自分自身を置いて見る。何を知るか。


ヒッチコックの、『知りすぎた男』ならず
『知らない人々』は、自分も人も救わないよ!


『自分』という言葉を話せない、『じぶん』と
言わない精神障害者が、多摩市には多発した。

自己暗示から、『じぶん』を使わない男女が
『自分自身』から離脱し、『誰か分からない』
ように生きる。居ない、見えない、知らない脳
たるアピールだけに生きる。仮面暮らしで偽名。


悪い人、意地悪な人、嘘をつく人、犯罪者ぶる
顔が、多摩ニュータウンでは『住民登録』を
してない。しない。

犯罪者たる自覚や自意識にいる。
そんな人たちが犯罪でエキストラ!


『選挙演説カー』に乗る人が、『住民登録外』な
人間や、『精神障害1級』なんだから演技性障害
だと分かる。偉そうだし、うまい(声優みたい)。


名前、戸籍、年齢、誕生日は『無戸籍ごっこ』で
使わない、使えない。そんな人々が『多重生活』
だの、『多重人格のふり』をしていた。


『居なくても気にしない』『見えなくても平気』
みたいな、ハラスメントをやるターゲットしか
見えない知能障害が、被害者にならない、まず
被害者に似てない。

犯罪者は犯罪者にしか似ない。有名人に繋がる
ふりは、仮面生活。本名のある表札に繋がらず
誰か分からない、何処にいるか分からない役。


本名家庭にハラスメントし、本名家庭にすがり、
本名家庭に知られたがり、本名家庭に意地悪を
やる偽名な名札で働く犯罪者。肩書や名前とは

『いつも嘘をつく』『いつも名前が変わる』
『いつも知らない人々に繋がる』というタイプ。


人間らしくない、人間である自負がない、日常
『ほんとのことを話せない、話さない』人々が
仲間や、LINEアプリを使う『死んだふり』。


『新天本病院』のキチガイを、多摩センターは
犯罪者だと、アピールに来て仮面生活にいた
偽名生活者を、病気な役で自己暗示で誇張!


身体の病気や、身体の疾患を分からないと
多摩センター駅にたむろって、仮面生活を
アピールに来て、働く劇やバーチャルにいる。


知能にダメージがあると、新天本病院をぶり
狂っている自意識から、他人にすがり、また
自分の依存している相手の色に染まり、

すがり、ターゲットに自分たちを見せに来る
精神病たち。働くエキストラごっこは狂う役。


エンジと黒にいる役。『血と刑務所と病院』の
イメージが、精神病にはエンジと黒だったらしい。


壁の色や、クリーム色や白は『北海道』や
『牛乳』や『生クリーム』や『美味しい』
イメージから、多摩ニュータウンにいる

精神障害には、『繋がらない』世界な
イメージらしい。藍色や紺色やブルーには

僧侶が着たり田舎で着る『作務衣(さむえ)』、
店員のユニフォームや、警察の制服や公務な
イメージがあり、着たがる人々が私にすがる。


エンジは『前科者の血』とか、『不都合』で
血を隠したいイメージがあるらしい(偽名)。


黒は、『多重人格で、本名が死んだふり』や
喪中にいる殺人犯の関係者に似た顔が、仮名に
なり黒のカーデを着る。すぐ脱げるふりらしい。

色盲があり、黒や灰色でマインドコントロール
され見えない芸能人を、知るアピールらしい。


私が黒を着たら、ハラスメントする人々は
私を、『死なせない』為だと思うらしいが?

多重人格でない私が、黒を着ても生成を着ても
ハラスメントする『角松敏生ごっこ』は、犯罪
者の自意識による、私への依存らしい。


私と同じカラーを見て黙るのは、角松に憑かれ
発達障害だと自覚した証らしいが。私と違う色
になると私にゆすり、弱虫な角松敏生を誇示し
『焦っている』というサインらしい。


摩訶不思議な前科者や、精神障害が存在中!




📔エスノグラフィー技法とは(Wikipedia参照)


日々の振る舞いを直接観察すること。これは
参与観察を含む。

異なる堅苦しさのレベルにある人との会話。
これにはちょっとしたお喋りから長時間の
聞き取り調査を含む。

系譜学的手法。
これは、民族誌家が図と記号を使って、
親族・相続・婚姻の関係を発見し記録する
ための一連の手順である。

共同体での生活の一定の範囲について、
重要な相談相手との詳細な作業。

徹底的な聞き取り調査。

地域特有の信念と認識の発見。

問題志向型の調査。

長期の調査。これは一つの地域についての
長期の継続的な研究である。

チームでの調査。

事例研究。
これらの技法の全てが民族誌家に使われて
いるわけではないが、聞き取り調査と参与
観察は最も広く用いられている。




アイドルの追っかけ。スポーツ活動。
夜のネオン街通い。居酒屋やクラブ通い!


宗教、政党支援。「スキゾイド」では不可能
かも知れない場所。その場所で、顕著になる
人間のこと。「自分とは?」という問いを

まず、自分自身に説いてみる。紐を解いてみる。


ほどく(包に入れたこと、知能にあることを)。
自分から生み出されしことを、自分自身に問う。


「エスノグラフィー」は、
「自分を取り巻く」あらゆる事柄に繋がる。
だから、あらゆる事柄に「自分」を向ける。

アンテナは、畏み畏みと待機する。人間とは
「叡智」に繋がる方が、理屈に繋がるのだが?


「自己乖離」や、「現実回避」では、人間は
単なる「エキストラな参加化」になるだけだ。
参加しないのも、「エスノグラフィー」。


「たぬき」をぶったグループは、いつ自分に
なり、いつ「自分らしく生きている」のか?

多摩ニュータウンの「たぬき」たちは、いつ
サンリオの「キティー」に化けるのか。


多摩センターの「たぬき」たちは、いつ自分の
役割を「たぬき」ではなく、「キキとララ」に
様変わりするのか。「トトロ」になるか?

雫に繋がる「バロン」になるのか。自分とは?
という問いかけが、「たぬき」たちを眺めては
笑う、「笑う門には福来る」になるのだろうな。


傍観者とは、「笑う門には福来る」だ!


「たぬき」に扮した精神障害ごっこの多摩市の
成れの果て。「ぽんぽこ狸合戦」は流行らない。

化かして化かされて。狂い狂わされて自己陶酔
となるか、「エスノグラフィー」では、明白に
明確になる「演技性パーソナリティ障害」とは

「あなたの、あなたらしさを笑えるか?」と
問う。「自分を化かしてみなさいな」とか?

「自分に嘘を言わせないで生きてみな」とか。


それもまた、「自分には言えるんだよ」とかね
「うまい役者だな」とか、「泣かせてみたい」
とか、「こんなヤツさ」で笑えたなら拍手喝采。


「エスノグラフィー」は、「自分試し」かな。
笑うか泣くか、嘆くかはしゃぐか。試してみて!


たんぽぽ見て、「かわいいな」と言えたら
かなり優しい。すみれを見つけて摘んで帰ると
「花が好きなんだな」と分かる。それもこれも

「行動観察」なんだわ。しかし、自分とは
自分を置き去りにしやすい。笑えない詐欺師。





2021.9.10 / 杼絽 @ Suzuki